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山の
メディア掲載

山のハンコ屋本印房のアトリエがある愛宕山は、画家・俳人の森有一さんと深い関わりがあります。ぜひご一読ください。

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山のハンコ屋本印房と画家・俳人の森有一さんとの愛宕山のご縁

岐阜新聞より

森有一  愛宕山に足跡

武者小路実篤に師事、関市出身の画家、俳人

孫が美濃市訪問 生前の暮らしぶりを語る


関市武芸川町出身で、晩年は美濃市中心部にある愛岩山(あたごやま)で過ごした画家で俳人の森有一(1898~1984年)。愛宕山で一緒に暮らした孫の森耕平さん(70)=愛知県春日井市=が、約半世紀ぶりに現地を訪れ、生前の有一の様子を語った。(佐名妙予)

耕平さんが持っていた卯年発行「森有一画集『天地微笑』」などによると、有一は武儀郡南武芸村に生まれ、博愛小学校を卒業後、岐阜商業(現県立岐阜商業高校)に進学。在学中に作句に目覚めた。その後、作家の武者小路実篤が理想社会の実現を目指して開いた共同体「新しき村」の村外会員としても活動。50歳から実篤に師事し日本画を始めた。

実篤は「自分にも他人にも誠実な森君は自然に対しても又誠実で感謝を知っている。ありがたいと言う感じであらゆるものに接して画をかいている」と有一を評した。俳人の種田山頭火は有一を「友の中の友」と慕い、たびたび自宅を訪ね、有一の絵について詠んだ句も残している。

耕平さんの訪問は、愛宕山の整備を進める有志 「愛宕山ランド」の本田裕治さん(42)が、有一の足跡を調べたのがきっかけで実現した。 有一は画家、俳人として多くの作品を残したが、その足跡は意外に知られていないという。資料や文献を探す中で、耕平さんと会社の同僚だったという近所の男性が耕平さんと連絡を取り、5月に訪れた。

有一は戦災の影響もあり、1945 (昭和20) 年に名古屋から愛宕山に移り住んだ。その後、耕平さんの父母も一緒に住むようになり、耕平さんが生まれた。有一について、耕平さんは「家には画材がたくさんあった。いつも全国に旅に出て絵を描いていた。創作のために断食もしていた」と振り返った。

山の近くに住む近藤肇さん(73)も有一を知る一人。「サツマイモの絵が得意で、今にも地面に付きそうな白いひげが伸び、仙人のようだった」と話す。近藤さんの両親と有一は親しかったといい、現在も自宅に有一のひょうたんの掛け軸や干支の絵などを大切に保管している。本田さんは「有一さんの暮らしぶりを聞くことができ、うれしい。有一さんの足跡とともに、愛宕山の歴史を感じながら整備を続けていきたい」と話した。

(岐阜新聞より抜粋)

画家、俳人として独自の道を歩んだ森有一さん(森有一画集天地微笑より)

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主催した森のワークショップが岐阜新聞に掲載されました

岐阜新聞 2021年6月8日火曜日

自分色 森の中で発見!

親子自生木で鉛筆作り 美濃市

美濃市中心部にある小高い山「愛宕山」の山頂で、山に自生する木を使った色鉛筆作りが行われ、市内外の親子5組が、オリジナルの鉛筆作りを楽しんだ。


3年ほど前から山の整備を進めている「愛宕山ランド」が主催。この数年で木の伐採が進み、山頂からの眺望も楽しめるようになったことから、山頂の広場を活用したイベントを初めて企画。3〜9歳の子どもとその保護者が参加した。


NPO法人グリーンウッドワーク協会の小野敦理事長や県森林文化アカデミー学生の高橋久美子さんが講師役を務め、初めにサカキやアラカシなど自生する木から好きな木を選んで切った。 その後、専用の器具で木に直径約8"-の穴を開け、記色の芯から好きな色を選んで穴に差し込んだ。さらに「削り馬」と呼ばれる木を固定して削る道具にまたがり、生木を削る独特の感触を楽しんだ。

(岐阜新聞より抜粋)

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本印宝​

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